2026/01/08 19:05


最近、メディアやSNSでよく耳にする言葉があります。
【時代は進化するぞ】【2026年は始まりの年だ】
ホリエモンさんのような影響力のある人が語ると、その言葉は合図のように広がっていく。企業は投資の方向を変え、若い人は未来へ胸を躍らせ、ニュースは連日【AI】を取り上げる。確かに、AIはすごい。便利で、速くて、賢くて、可能性がある。私もAIを否定するつもりはまったくありません。むしろ大歓迎です。私自身、AIと共に仕事をし、考え、創り、助けられてきた側の人間です。

けれど、ここで一度だけ立ち止まって問いかけたい。
【人間そのものは、進化しているのか】

技術が進化するとき、社会は自動的に良くなるのでしょうか。
端末が最新になれば、心の中の古いクセも更新されるのでしょうか。
AIが賢くなれば、私たちも優しくなるのでしょうか。

現実を眺めると、どうしても首をかしげたくなる場面がある。
昔から繰り返されてきた言葉が、今も変わらず飛び交っている。
【南海トラフは来るぞ】【富士山は噴火するぞ】
もちろん備えることは大切です。ただ、問題はそこではなく、私たちが【同じ不安】を抱えたまま、【同じ争い方】を続けていることです。技術の話題が熱くなるほど、社会の底の部分にあるものが置き去りにされていく感覚がある。

たとえば、道路。
煽り運転はなくならない。クラクション、急な車線変更、追い越し、車の中の怒り。ハンドルを握った瞬間に、人は別の人格になることがある。相手の顔が見えないから強く出る。相手の事情を想像しない。勝った負けたのように、ただ気持ちをぶつける。
たとえば、学校。
いじめは形を変えて残る。教室の空気、グループの圧、既読スルー、陰口、SNSでの晒し。大人になっても、職場や家庭、地域のコミュニティで似た構図が繰り返される。
たとえば、ネット。
誹謗中傷は今日も流れている。誰かが失言すれば袋叩きになり、誰かが成功すれば足を引っ張られ、誰かが弱れば笑いものにされる。匿名という仮面は、人の中の乱暴さを簡単に引き出してしまう。

AI産業を頑張るのは良い。むしろ、頑張るべきです。
医療、介護、防災、教育、物流、研究。AIが助けられる領域は数え切れない。人手不足の国にとって、AIは希望にもなり得る。
でも、ここで問い直したい。
【AIが進化すれば、いじめはなくなるのか】
【AIが進化すれば、他人を見下す癖は消えるのか】
【AIが進化すれば、怒りの扱い方を私たちは学べるのか】

最近、海外では子どもたちのネット利用を制限する動きが強まっていると聞きます。SNSが子どもの心を壊す、依存を生む、比較地獄に落とす。確かに一理あります。守るべきものは守るべきです。
ただ、私は思うのです。
規制すべきは、子どもより先に【大人】ではないかと。

大人たちは、子どもにこう言う。
【人を傷つけてはいけない】
【相手の気持ちを考えなさい】
【言葉には責任がある】
ところが、その同じ大人が、ネットでは平気で他人を刺す。現実では言えない言葉を、平然と投げる。
しかも、その中心にいるのが若者ではなく、中年層であるケースが少なくない。家庭も仕事も背負い、疲れや不満を抱え、それを外に吐き出す場所がネットになってしまう。事情は理解できる。でも、理解できることと、許されることは別です。

よく持ち出される言葉がある。
【発言の自由】
自由は大切です。民主主義の柱です。けれど、自由とは【何を言ってもいい免罪符】ではない。
自由には責任が伴う。相手の尊厳を踏みにじらない範囲で、初めて自由は美しい。
他人を誹謗中傷し、人格を攻撃し、社会的に抹殺しようとする言葉は、自由ではなく暴力です。見えない刃物です。

そして、その姿を子どもが見ている。
メディアの前で、影響力のある大人が、気に入らない相手に暴言を吐く。コメント欄で、大人が大人を嘲笑する。炎上を娯楽として消費する。
これが【進化した社会】の顔であっていいのでしょうか。
子どもにネット規制をかける前に、大人が【言葉の使い方】を学び直す必要がある。大人が変わらない限り、子どもは大人の影をなぞる。教育とは、口で言うことより、背中で見せることだからです。

ここからが本題です。
道具だけが神の領域に近づき、使う人間の心が未熟なままだったら、未来はどうなるのか。
AIは、強力な道具です。包丁にもなり、メスにもなり、鍵にもなり、武器にもなり得る。便利さは、人間の欲望に直結する。速さは、人間の衝動に直結する。
つまり、精神性が整っていない社会にAIが深く入るほど、問題は【増幅】される可能性がある。
誤情報も、偏見も、差別も、煽りも、怒りも、拡散が速くなる。小さな悪意が大きな波になる。誰かの一言が誰かの人生を壊す。そのスピードが上がる。

だから私は言いたい。
AIとの共存は、技術の問題ではなく【人間の成熟】の問題です。
心が追いつかないまま道具だけ進化させるなら、私たちは便利さの中で、ますます不幸になるかもしれない。

では、2026年をどう位置づければいいのか。
もし2026年が【始まりの年】なら、それは技術革新のスタートだけではないはずです。
私たちが置き去りにしてきたものを、取り戻す年にしたい。
【精神世界】と言っても、特別な宗教の話ではありません。
・他人の痛みを想像する力
・自分の怒りを観察する力
・言葉を刃物にしない選択
・違いを排除ではなく学びに変える姿勢
・負けたときに相手を呪わず、自分を整える品格
こういう、目に見えない土台のことです。

進化とは、外側に足すことだけではない。
内側を整えることでもある。
新しいアプリを入れる前に、古い憎しみを消す。
最新のツールを学ぶ前に、古い偏見を疑う。
誰かを論破する前に、誰かの孤独に気づく。
その順番が、今の時代には必要なのではないでしょうか。

私はときどき、夜にスマホを開いてコメント欄を眺め、胸が冷える瞬間があります。言葉が石のように投げ合われ、誰かが倒れても、次の標的が見つかるまでゲームが続く。そこで思うのです。私たちは通信速度や計算速度を誇る前に、【心の速度】を学ぶべきではないかと。反射的に傷つける速度ではなく、立ち止まって相手を思う速度へ。進化の尺度を、性能だけではなく品格にも置く年へ。

最後に、今日からできる小さな提案を置いておきます。
・怒りが湧いたとき、すぐに投稿せず10分だけ待つ
・相手を断定したくなったら、1つだけ事情を想像する
・人の成功にざわついたら、静かに自分の一歩を作る
・子どもに規制を語る前に、大人が自分の言葉を点検する
・AIを使うなら、便利さと同時に【優しさ】を学ぶ

本当の進化は、スマホの中だけにはありません。
私たちの心の中にあります。
2026年が始まりの年なら、道具の進化より先に、心の進化を始める年にしたい。
そのとき初めて、AIは脅威ではなく、共に未来をつくる相棒になるはずです。

私たち一人ひとりが、その小さな進化を選び続けるなら、2026年は静かに、しかし確かに、尊厳を守れる社会へ向かう年になります。