2025/04/20 06:10

ドームホールの中心に、微かに“音”が流れ込んできたのは、アキラたちがそれぞれの分岐から再合流した、ほんの数分後のことだった。
それは風でもなければ、機械の動作音でもない。
耳で捉えられる音ではなかったが、確かに“何かが届いた”という感覚だけは、全員の体に染み込んだ。
Kが端末を操作しながら、眉をひそめる。
「……振動数は不明。波長は存在していますが、周波数として計測できません。
言い換えるならば、これは“次元干渉型の音”とでも言うべきでしょうか」
「つまり、聞こえないけど、届いてる……ってことか」
「ええ、“魂に触れる音”……とでも表現すべきでしょうか」
そのときだった。
ドームホールの出入口、背後の暗がりに、ひとつの影が差した。
足音はない。
気配も、殺気もない。
ただ、静かな存在感だけがそこにあった。
アキラが振り返った瞬間、思わず息を呑んだ。
「え・・・リン・・・・?」
細身の小さな少女が、ホールの光に照らされて立っていた。
両の瞳は真っ直ぐに前を見つめているのに、どこか現実と乖離しているような気配を漂わせている。
肩にかかる栗色の髪は、都市の粒子光に照らされて淡く輝き、
その額には――青白く脈打つ“光”が浮かび上がっていた。
彼女は誰の呼びかけにも応えず、ただ静かに、中央へと歩を進めた。
重力が薄くなったような空気の中で、
その姿だけがやけに“重み”を持っていた。
リナが、小さく声をもらす。
「……リン?本当に、あれ……リンなの?」
Kはすでにスキャンを始めていた。
彼のホログラムに映し出された脳波データは、明らかに常人の範囲を逸脱していた。
「脳波はαでもβでもなく、θ領域すら超えています。
これは……“言語前意識”の状態……!」
「言語前意識」――人間が言葉を習得する前の、純粋な感覚と思念だけで存在していた意識のかたち。
それを、リンは今、完全に呼び起こしていた。
彼女は歩みを止めると、ゆっくりと空を見上げた。
そして、静かに言った。
「……聞こえるの。声じゃない、でも確かに“伝わってくる”の……
“それ”は、ずっと昔からここにあって……
わたしのことを……待ってたみたい」
誰も口を開けなかった。
彼女の声が、ホールの構造そのものを震わせるような感覚があったからだ。
それは言葉でありながら、音の構造を持った祈りのようにも聞こえた。
そして次の瞬間、天井のホログラムが乱れ、無数の光点がホール全体に散った。
その軌跡が繋がり、組み上げられた中心に――ひとつの骸骨のような形状が浮かび上がる。
クリスタルスカル。
青白い光を帯びたその像は、明らかにリンの額の光と共鳴していた。
Kの手が止まる。
「まさか……実在するとは……。
あれは、古代遺物の象徴。精神記録媒体、記憶の水晶……
いや、これは……“呼び水”だ。彼女の中の何かを引き出そうとしている……!」
リンの目が、大きく見開かれる。
まるでその瞬間、彼女自身が「人間であること」から一時的に外れたようだった。
「……わたし、知ってる。
この声は……“あの時”に聞いた……。でも思い出せなかった……
忘れていたのは、“世界の方”だったの……」
スカルの奥から放たれる音が、周囲の空間そのものに干渉し、
青い光の帯がリンの背後に現れる。
それはまるで、宇宙の神経線のように彼女と繋がり、
さらに外部の“何か”と通信を始めたようだった。
アキラが、リンにそっと手を伸ばしかけた。
だが、その手は空中で止まった。
触れてはいけない――
今、彼女はこの現実の“外側”と接続している。
やがてリンの光が収束し、ホールの空気が再び静寂に包まれる。
彼女は、ゆっくりとアキラを見つめた。
「……アキラくん。わたし……行かなきゃ。
たぶん、わたしの中に……誰かが“いる”の。
その声を、ちゃんと聞きたいの……」
その目には、もはや迷いがなかった。
少女の中に眠る“神の遺伝子”が、
いま静かに、扉を開けようとしていた――